富谷塾

インタビュー

Naruha
2022/03/11 10:42

“100歳”の準備完了! 自分で決める「最高の人生の見つけ方」

 

鈴木 まり子

  • 沖縄出身、沖縄育ち。
  • 大学卒業後、社会人を1年経験するも結婚を機に退職。
  • 2009年転勤の末に富谷に定住。
  • 専業主婦・子育てを経て、パート・派遣社員として働く。
  • 2021年秋頃「富谷塾定例会」に参加、「妄想大作戦」イベント出店、富谷塾入塾。
  • 2022年春からレンタルカフェにて日替わりシェフ「そばへっど(ランチ)」、「びあへっど(ディナー)」として出店。

思い立ったが吉日、出会ったが大吉

 秋が深まり、多くの受験生が進路に悩み始める頃…。まり子さんの娘の進学先は、既に決まっていた。

進学先は、まり子さんが生まれ育った沖縄。

沖縄の開放的な暑さや、
のんびり陽気な人々の姿をもい浮かべると、
県北に位置する富谷の寒さも、少しだけあたたまる気がする。

 

あと数か月で愛娘が遠く、沖縄へ行く…。

 

そして、まり子さん自身の人生も、折り返し地点を迎えようとしていた。

 

 ――44歳までは四捨五入したら0歳、45歳からは四捨五入して100歳――

 

 これは、まり子さんが考えた人生の指標だ。

44歳までは0歳だから、「まだまだこれから!」と考えていたが、春がくる前に45歳になるから100歳…。この先、残りの人生で何を残せるだろうと、考えるようになる。

まり子さんは「このままではいけない」と思い、自分の本当にしたいこと・はじめたいことを見直すため『人生の棚卸し』を始めた。

 

 手始めに、慣れ親しんだ会社を、自分の誕生月である2月で辞める宣言

 

これまでの仕事は、時間や内容的に条件が合っており、恵まれた環境ではあった。

しかし、ずっと誰かをアシストする事務的な業務ばかり…。

だからこそ、子育てが終わった今、次は自分が主体となってできる仕事を見つけようと考えたのだ。

 

  ――「富谷塾って知ってる?あなたにぴったりな場所だから!入ってみて!」――

 

 「さてこれから何をしようか」探し始めようとしたちょうどその頃だった。スーパーで買い物をしていると、PTA会長時代の『戦友』と偶然再会する。

 お互いの仕事や家族のことなど、これまでの近況報告をする。すると、その人は「富谷塾に入って!」と突然言い出した。
 

 『富谷塾』…?。まるで聞いたこともなかった。

食い気味に話すその人は、実はかなり活動的な方で、地域の取り組みなどに関心があった。はじめて聞いた富谷塾の話を聞くと、どうやらたんなる起業塾でも仲良しサークルのような集まりでもないことを知る。


 富谷市が開催する富谷塾の活動は、参加していない市民にとっては“よくわからない”ものだった。その人も含め、まり子さんもよく知らない。これを機会に参加して、一市民として調査ないし革命をおこせたら面白いと二人で考えた。

 

 何かはじめるためのいい『場』になるだろう。利用価値はある。
スーパーで立ち話をした、その翌日、さっそく富谷塾にメールを送ってみた。

 

流れる水や漂い行く雲のように、始まる

 

 数日後、富谷塾から連絡がきた。

「二日後に富谷塾定例会があります。是非ご参加ください。」

 

 いわれるままに、定例会に参加。自分とは世代も経歴も業種もちがう人々に、自己紹介をし、意見交換をした。富谷塾の和気あいあいとした雰囲気のおかげで、少しドキドキしていたまり子さんの緊張感がやわらいだ。

 

 談笑しながら話していると、

「二週間後にある妄想大作戦でイベント出店しませんか?」と誘われる。

 

まり子さんは、軽い気持ちで「あ、いいですよ~。やります。」とこたえていた。

 

しかし、「やります」とは言ったものの…さてさて、どんなお店を出そうか。

ずっと富谷で暮らしてきたわけではないため、富谷の名産物や特産品はピンとこない。

 

あれこれ考えていくうちに、この際だから、東北の人には馴染みがない沖縄料理がいいのではないか、と思いつく。

二週間という短期間で考えたメニューは
「タコライス」と「サーターアンダギー」。
タコライスは沖縄発祥で自宅でもたまに作ることがあった。
沖縄名物のサーターアンダギーは本場の味を知っている。

 

 富谷塾のコンシェルジュとZoomで何度も打ち合わせをしながら準備を進めていった。

 

 

――お母さん、こういうの楽しいね――

――声をかけてくれた…。  
ああいう雰囲気っていいな――

 

 天気に恵まれ、売れ行きは好調。まり子さん自身も手ごたえを感じた。

そして何より、嬉しかったのは初めての出店を家族が手伝ってくれたこと。まり子さんの娘は接客を、夫と息子はお店の設営から片付けまでやってくれた。

バタバタして忙しかったが、結果的に家族と過ごす時間ができたのだ。

 

さらに、まり子さんにとって嬉しい、小さな変化があった。

 

 いままでイベントに縁がなく、周りから話しかけづらい雰囲気があった夫。そんな夫が、富谷塾生から声をかけられていた。明るく気さくに話しかけるその人は、イベントと仕事を楽しんでいた。その人の楽しそうな様子は、周りの人も巻き込んでいく。

 

 イベント後、夫は「一緒に参加してよかった」とつぶやいた。他人と関わることが少なかった夫の変化に一番驚いたのはまり子さんだった。手伝ってくれた娘も「一緒に参加することができて楽しかったよ」と言ってくれる。残りわずかな親子の時間、とても充実した。

 

普段であれば恥ずかしくて、あまり言えないことも、きちんと言葉にして感謝を伝えられるように…。この経験と人との関わりで、大切な家族のキズナがより深まった。

 

 こうして、イベント出店が大成功に終わったあと、初めて富谷塾のコンシェルジュと面談することになる。

 

啓示夢が結ぶソーキそば

 

 ときどき、まり子さんは“ある夢”をみていた

 

沖縄にあった祖母のソーキそば屋を探しつづける夢。

 

なぜ探しつづけているのかわからない。
どうもソーキそばが食べたかったわけではないらしい。

ただ、確かなのは、まり子さんの祖母のソーキそば屋は、もうないという事実。

 

――それです、まり子さん!お店を出しましょう。ソーキそば屋を始めましょう!――

 

 まり子さんと面談をしたコンシェルジュはイベント出店のときからサポートしてくれていた人だった。そのコンシェルジュに、自分の半生と、何度もみる夢のことも話したまり子さん。

相づちを打ちながら話を最後まで聞いていたコンシェルジュは、「ソーキそば屋」をはじめましょうと提案してくれた。

 

 「ちょうど富谷でレンタルカフェを始めようと計画をしていて、日替りシェフを募集していたので挑戦してみませんか?」と誘われる。

 

運営するのはイベントで出会った、あの気さくで明るく声をかけてくれた人。その話を聞いたまり子さんは「やります!」と答えていた。

 

 それからというもの、祖母の店を探す夢はパッタリみなくなった。

 

不思議なことだが、説明できるとしたら自分の進むべき道が決まった証拠かもしれない。
45歳になるこれからの新しい道に期待で胸が高鳴る。

 

 

美ら花は、後から

 

 富谷に定住してから13年。家庭でも仕事でも、“誰かをアシストする”立場にいたまり子さん。

2022年春から日替わりシェフとして沖縄料理をメインにしたランチとディナーをはじめる。

 

 45歳(=100歳)からは自分が主体となって、多くの人とつながり、ゆくゆくは地域に貢献できるような人になりたいと願う。これまでつながってきた縁は、これからの人生の転機だったのかもしれない。

 

 ――残りの人生で私に何が残せるだろうか?――

 

 沖縄の人々が「ナンクルナイサー」と陽気に笑う。年齢も性別も出身も性格も関係ない、誰も背伸びすることなく気兼ねなく語りあう。

そうやって訪れる人々を、ソーキそばで優しく迎えていた祖母の姿を思い出す。

 

沖縄から遠くはなれた宮城県富谷市で、沖縄料理のお店をはじめることは、懐かしい故郷や祖母、そしてこれから沖縄で1人暮らしをスタートさせる娘ともつながる気がする。

 

 

 ――どうせやるなら、本気で!挑戦はいい緊張感で――

 

 富谷塾入塾を追い風にして、半年でお店まで開くようになったまり子さん。行動力や努力の成果があらわれ、急激に成長している。

 

それはたんに、
“富谷塾に入れば叶えられる”
のではなく、
“富谷塾を利用し、行動した”
だからこそ、得られた成果である。

 

 また、ここまで辿り着いたのは、自分だけの努力ではなく、周囲のサポートがあってこそだと、半生での経験からよくわかっている。ゆえに、ゆくゆくは地域に貢献したい、しなければとも考える。

 

そんな気持ちを胸に
みんなが笑顔になる沖縄料理を作り、
多くの人を歓迎し、
地域のためになるように、
まり子さんはこれからも全速力で100歳を生きる。

 

「イッぺーマーサン沖縄料理を、富谷で食べてけさい♪」

 


■お店

 Instagram そばへっど&びあへっど

 

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